My Favorite Island #3|小豆島

小豆島人気の観光スポット、エンジェルロード

香川県在住時、もっとも渡った回数の多い離島といえば、小豆島。高松港からフェリーで約1時間、高速船を使えば約35分で渡れるこの島は、瀬戸内海の島の中で淡路島に次いで面積が広い。中央は山地となり、最高峰は標高817m(星ヶ城)にも達する。古い時代の海底火山が隆起してできたため、花崗岩が島の各所で切り出されてきた。この花崗岩は切り立った断崖と奇岩による渓谷を形成し、寒霞渓と呼ばれる景勝地となっている。

他にも歴史のある醤油蔵が建ち並ぶ通りや四国巡礼を模した小豆島八十八ヶ所の寺、温暖で雨の少ない気候を利用して栽培されるオリーブをテーマにした公園、最近では瀬戸内国際芸術祭の会場になるなど、観光スポットは数え上げるときりがない。これらの名所には何度となくカメラを持って訪れているが、まだ訪れたことのない場所も多い。今回は小豆島へ何度も通っている私が、特に心に残る場所を紹介したい。

2020年3月下旬の訪問時に撮影。『二十四の瞳』の大石先生と12人の子どもたちの銅像周囲はナノハナが満開。後ろでは12匹の鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでいた。

小豆島の南東部に大きな湾がある。内海湾と呼ばれるこの湾は、東側の田浦半島が湾をふさぐほど延び、湾の中は湖のように波が穏やか。この細長く延びた田浦半島の先に、映画『二十四の瞳』の舞台となった岬の分教場があった。原作の小説『二十四の瞳』は壺井栄の作品。小説では冒頭で「瀬戸内海べりの一寒村」と書かれているだけで、小豆島の地名はないが、壺井栄の出身地が小豆島でありことや、1954年の木下恵介監督が映画『二十四の瞳』の撮影を小豆島で行ったことから、小豆島が「二十四の瞳」の舞台とされる理由となった。また、1987年に再度制作されたときには田浦半島の先端近くに広大なオープンセットが作られ、そのセットが「二十四の瞳映画村」として、一般公開されている。

こちらは本当に使われていた田浦集落にある苗羽小学校田浦分校の校舎。こちらも岬の分教場として親しまれ、教師を目指す人々が、ここを訪れ、多くのメッセージを残している。

「二十四の瞳映画村」には、メインの岬の分教場に加え、昭和初期の漁村風景も残されている。細い路地を歩くと、タイムスリップしたような不思議な気分が味わえる。この場所へ来ると感傷的な気分になるのは、映画『二十四の瞳』が戦争によって人生を大きく狂わせられ、傷つく人々の姿や心情が描かれている作品であるためだろう。主人公の大石先生と子どもたちのほのぼのとした日常が描かれる前半に対し、太平洋戦争に突入する後半では、かつての教え子が戦場に送られたり、夫が戦地で亡くなるなど、悲しい現実が押し寄せてくる。この話の流れは、海外の映画などでもよく使われ、最近では映画『この世界の片隅に』にも見ることができる。太平洋戦争という現実に裏打ちされた物語の展開は、たとえフィクションであろうとも、観る者の心に深く突き刺さる。

「二十四の瞳映画村」にある分教場の校舎からは、瀬戸内海を一望できる。穏やかなこの海も戦時中は軍艦や輸送艦が行き交い、戦争末期には米軍機が空を飛び交ったに違いない。

「二十四の瞳映画村」のオープンセットとして使われたに家々は、瀬戸内海の他の島で見る古い木造建築の家をよく研究して建てられている。あちらこちらに掲げられた映画の絵看板は演出過剰であるが、窓から家の中をのぞき込むと奥から人が出てきそうなリアルさは、映画のセットとして使われただけのことはあると感心する。

木造の家に挟まれた雰囲気のよい路地。映画『七人の侍』の絵看板はよく出来ているが、観光地感が強く出すぎるきらいもある。

昭和の時代を懐かしんだり、太平洋戦争時の人々の暮らしに思いを馳せたり、教育って何だろうと考えたり、訪れる人それぞれにいろいろと考えさせる「二十四の瞳映画村」は、テーマパークとしては、他に類のないものだと思う。

小豆島の話をするはずが大きく脱線してしまった。この小豆島は、味のある古い町並み、醤油づくりに代表される伝統的な産業、農村歌舞伎や華やかな秋の祭、荒々しい岩山の風景、美しい海の風景など、島に住む人には見慣れた日常かもしれないが、島の外から来る人、特に都会に住む者からすれば、異世界とでも言うべき非日常的な光景が目の前に展開する島だと思う。船で海を渡らなければ、訪れることができないという点も舞台装置としては最高だ。何度訪れても、その度に新しい見がある島、それが私を惹きつける理由かもしれない。

小豆島の玄関口、土庄の町は細い道が入り組み、「迷路の町」と呼ばれている。路地を気の向くままに歩き、ふと見上げると家々の間から小豆島霊場第五十八番札所、西光寺の三重塔が見えた。