秩父路を走る機関車が牽く列車

先日、秩父川瀬祭の見物に出かけた際、秩父鉄道の御花畑駅から浦山口駅まで歩いてみた。写真を撮りながら考えたことをつらつらと書いてみようと思う。

秩父鉄道は旅客輸送と並び、武甲山の石灰石輸送が盛んな地方鉄道。平日には、電気機関車が原料用の石灰石を満載した貨車を20両ほど牽引する姿が見られる。

影森駅の三峰口方面にある踏切。左側の線路は本線、右側の線路は秩父太平洋セメント三輪鉱業所の専用線

影森駅は秩父鉄道を走る貨物列車が走る区間の西の端。ここから六甲山の麓に向かい専用線が伸びている。全長1kmほどの専用線の終点には秩父太平洋セメント三輪鉱業所がある。六甲山で採掘された石灰石を細かく砕き、ホッパ貨車に積み込んでいる。石灰石を満載した貨車は専用線の勾配を下り影森駅から秩父鉄道本線に入り、セメント製品などへの加工を行う太平洋セメント熊谷工場まで運ばれる。

先ほどの踏切から三峰口方面をみたところ。右側の本線に対して、左側の専用線の線路は急勾配で上ってゆく

秩父鉄道の筆頭株主は太平洋セメント。秩父鉄道の成り立ちに石灰石輸送は大きく関係しており、沿線には武甲山の石灰石採掘・輸送・セメント加工のための鉱業所や工場が沿線にいくつも作られた。太平洋セメントに吸収される前の秩父セメントの主力工場であった旧秩父セメント第一工場は、秩父鉄道秩父駅から東に伸びる引込線の先にあった。2000年に操業を終え、2008年には解体され、現在は広大な更地となり、事業用地として分譲されているようだ。

大野原駅の熊谷寄りには、旧秩父セメント第二工場があり、最盛期には側線に多くの電気機関車や貨車が止まっていた。現在は、秩父太平洋セメント本社・工場となっており、特殊なセメントの製造に特化しているようで、昔のように石灰石を満載した貨車の姿を見ることがなくなった。

影森駅からしばらく併走していた秩父鉄道本線(右)と左手に大きくカーブしながら分かれてゆく秩父太平洋セメント三輪鉱業所の専用線

武甲山の石灰石を採掘しているのは秩父太平洋セメントだけではない。武甲山の北東で採掘を行っている三菱マテリアルは、かつて西武鉄道横瀬駅から西武鉄道を使って石灰石を輸送していた。かつて西武鉄道が国鉄EF65と同等の牽引能力のあるE851電気機関車を所有していたのはそのため。横瀬駅周辺に残る広大な更地はその名残だ。現在はトラック輸送に切り替えている。

話が前後してしまったが、影森駅からはもう1本貨物専用線が伸びていた。本線と三輪鉱業所の専用線の間に線路があったのだが、かなり前に線路ははがされてしまった。この支線は秩父鉄道武甲山貨物支線と呼ばれ、武甲山の西側の採掘場から石灰石を運び出すために使われていた。1984年には廃線となったために私は現役時代がどうであったかは知らない。

ホイッスルの音が聞こえると、三輪鉱業所から石灰石を満載した貨物列車がゆっくりと現れた

現在も武甲山の石灰石を鉄道で積み出しているのは、秩父太平洋セメントの三輪鉱業所のみ。平日であれば、日に何度か石灰石を積んだ貨物列車を見ることができる。やってきた貨物列車の先頭に立つのはデキ301号機関車。全長12mほどの小さな電気機関車だが、20両ものホッパ車を牽引している。調べてみると、デキ301号は私と同い年。50年以上、重い貨物を牽いて秩父路を走り続けた働き者だ。

炎天下の中、汗を流しながらここまで歩いてきたが、貨物列車の走る姿に、その疲れも吹き飛んだ。

浦山川橋梁を渡るC58牽引のパレオエクスプレス

実は秩父鉄道沿いここまで歩いてきた理由は、浦山川橋梁を渡るC58蒸気機関車を撮ることにあった。橋の全長は100m近くあるのだが、両岸の木々が伸び、橋の大部分が隠れてしまっている。浦山川沿いの道路から撮ることも考えたが、いざ行ってみると橋がわずかに見えるのみ。急いで少し上流にあるキャンプ場へ行き、入場料を払い、河原から撮影することにした。結果はまぁまぁというところ。

ちなみに、パレオエクスプレスは観光列車なので土休日に運転される。一方、貨物列車が平日に運転される。そのため、同じ日に両方撮ることは難しい。ところが、この日は平日ながら川瀬祭が開催されたため、特別にパレオエクスプレスが運行された。C58が来るまでの暇つぶしに影森駅から伸びる貨物専用線を撮っていたのだが、蒸気機関車に加え、電気機関車が牽引する貨物列車を撮ることができ、非常にラッキーだった。