第9番札所を出て少し歩くと横瀬町の中央を東西に走る国道299号線へ出る。国道299号線は埼玉県入間市から飯能を経て、西武秩父線とほぼ同じルートを秩父市まで走り、奥秩父、八ヶ岳を横断し、長野県の茅野市に至る長い国道だ。秩父から東の区間は、都内から秩父へ向かう最短ルートであるため、交通量が多い。
歩道があるとはいえ、ビュンビュン車が行き交う国道を歩くのは楽しくないので、自然と歩く速度が速まる。横瀬小学校の脇を抜け、小さな橋を渡ったところで国道299号に別れを告げて進路を北西に変える。住宅の多いエリアの細い道をジグザク曲がりながら、第10番札所に向けて歩を進める。
バス通り沿いに立つ「摩利支尊天」と書かれた石造りの道標を目印に山に向かう道へ入る。この南北に横たわる山麓を北に少し歩くと、延命地蔵尊が台座に鎮座する姿が目に入る。ここを曲がれば第10番札所の大慈寺だ。20段ほどの石段を上ると仁王門があり、門をくぐると、正面に本堂が建つ。狭い境内いっぱいに幅6間(約10m)の回廊付き本堂と庫裏があり、いかにも山里の寺らしい風情がある。
本尊は聖観世院菩薩像。像高は27cmで厨子に納められている。第9番札所の明智寺の本尊と同様に恵心僧都(鎌倉時代の僧)の作と伝えられているが、実際には江戸期に作られたもののようだ。本尊の厨子の前には子どもを抱いて立つ子育て観音像があり、その他にも堂内には十一面観世音菩薩、地蔵菩薩像などもある。
本堂の外に目を移すと、南側には六地蔵が並び、その奥には墓地もある。集落の中にあることから里の菩提寺として古くから親しまれてきたことが想像できる。
大慈寺の創建は1490年とされているが、明応2年(1493年)に秩父市の廣見寺によって再興されたことが記録に残されており、廣見寺によって創建された可能性もある。廣見寺は秩父市内でも歴史のある名門の寺で、秩父三十四観音霊場のうち、15ヶ寺が廣見寺の僧によって開かれたり、再興されている。そのため、これらの15ヶ寺は廣見寺の末寺という扱いを受けている。
各札所の由緒などを描いた「観音霊験記」には次のような描写がある。摂津の国から来た儒者が仏道をののしっていると、大慈寺の本尊、聖観世音菩薩が老僧に姿を変えて儒者と問答をした。儒者が「普門品の偈(法華教の観世音菩薩について書かれた部分)に羅刹鬼国とあるが、その国はどこにあるのか。答えられなければ仏法は戯言である」と問うと、老僧は「汝の問う羅刹鬼国とは、すなわち汝が忿怒(ふんぬ)のさまを言うなり」と答えた。儒者はこのひと言で自らを恥じて仏道を信じるようになったという。
大慈寺を再興したとされる廣見寺の東雄朔方禅師(または大和尚)は、摂津出身という言い伝えもあり、「観音霊験記」の儒者と重なって見えるが、偶然だろうか。
納経所で御朱印をいただいていると、境内に若者のグループが入ってきた。彼らは巡礼は巡礼でも観音霊場巡りではなく、アニメの聖地巡りをする“巡礼”をしているようだ。スマホの画面を確認しながら、あちらこちらで写真を撮っている。アニメのキャラクターの背景となった場所を探して、そこで写真を撮るというのが彼らの楽しみ方なのだろう。聞くところによると“秩父三部作”と呼ばれる、秩父地方を舞台に描かれたアニメ作品があるそうで、その中の1本、「心が叫びたがっているんだ。」(通称“ここさけ”)がこの横瀬町を舞台にしているそうで、この大慈寺も出てくるらしい。大慈寺もこのブームにあやかろうと、アニメキャラクターが描かれた絵馬を用意している。
私の世代だと大林宣彦監督の“尾道三部作”に触発され、尾道のロケ地巡りをする人が少なからずいた。大林ファンではない私ですら、尾道を訪れたおり、映画「転校生」や「時をかける少女」のロケ地を見つけて、映画のシーンを思い出したこともあり、彼らの姿を微笑ましく思った。