21世紀に入ってから数年、数多くのメーカーからデジタルカメラが次々と発売され、市場は大いに活気づいていた。コンパクトカメラがデジタル化で先行する中、レンズ交換式一眼レフも高額のプロ用デジタルカメラから始まり、アマチュアユーザーを対象とする価格のこなれたモデルの開発、発売へと重点が移っていった。
2002年を見ると、キヤノンから有効630万画素のEOS D60が約33万円という価格で発売されている。これに負けじとニコンは有効610万画素のD100を約30万円で売り出し、デジタル一眼レフ普及の時代へ突入した。同じ頃、オリンパス光学工業(当時)は米国イーストマン・コダック社と次世代のデジタル一眼レフカメラシステム“Four Thirds System”を策定したと発表。翌、2003年10月には、Four Thirds Systemの第一号機、オリンパスE-1が発売された。
Four Thirds Systemは、主光線(光軸外から入射して絞りの中心を通る光線)が撮像素子(CCDやCMOSなどのイメージセンサー)に直角に当たる光学設計のできるデジタル専用設計が可能な初のレンズ交換式一眼レフシステム。他社が35mmフィルム一眼レフのシステムを流用しているのに対して、デジタル専用設計である点は画質面、将来性において大きなアドバンテージになると私は考え、オリンパスE-1を購入することにした。
当時、デジタル一眼レフの撮像素子サイズはAPS-Cサイズ(約24×16mm)が一般的だったのに対して、オリンパスE-1の撮像素子は4/3型(約17.3×13mm)とやや小さいため、画質を不安視する向きもあった。しかし、搭載するのはプロ機にも使われているイーストマン・コダック社製のCCDであり、有効画素数は約500万画素と当時としては十分な画素数を確保していた。
デジタル一眼レフカメラの多くが、フィルム一眼レフカメラを模したデザインを採用する中、E-1はレンズマウントが片側に寄ったユニークな形状をしている。これは、レンズ一体型のデジタルカメラCAMEDIA C-1400L(1997年)、E-10(2000年)、E-20(2001年)から共通するデザインの流れで、さらに遡れば、1990年に発売された一眼レフスタイルのレンズ一体型フィルムカメラL-1に、その源流がある。デジタルカメラは、レンズと撮像素子が一直線に並んでいれば、グリップやバッテリー室、ファインダーを自由にレイアウトできるはず。オリンパスE-1は機能的なデザインで、素晴らしいと思う。
写りも魅力的だった。搭載したコダック製CCDセンサーの持ち味だろうか、青空が美しく写るカメラだ。“コダックブルー”とも“オリンパスブルー”とも呼ばれ、当時は話題になっていたと思う。現在のカメラに比べると画素数は少ないが、質感表現などは、今でも通用するレベルではないだろうか。上の熱帯スイレンの写真など、花びらを見ると光沢のあるサテン布のような質感がしっかりと表現されている。
オリンパスE-1はプロ仕様機ということもあり、同時に発売されたZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5やZUIKO DIGITAL ED 50-200mm F2.8-3.5も防塵防滴仕様となり、質実剛健なカメラという印象。それまで使っていた他社のカメラでは、雨に濡れて不具合が出る経験もしていたので、この耐候性能の高さはうれしかった。さらに、撮像素子前面に付くホコリを超音波振動で落とす「ダストリダクションシステム」を搭載している点も魅力。他社ユーザーが定期的にセンサークリーニングを強いられるのに対し、オリンパスのデジタル一眼レフではそのような作業はほぼ不用だった。
画質の面で不安があるとすれば高感度撮影時や長秒時撮影時のノイズ。撮像素子の技術革新、画像処理エンジンの能力向上により、現在では酷いノイズを目にすることは無くなったが、この当時はISO感度を100〜400に留めることが多かったし、スローシャッターや長時間露光はノイズとの闘いだった。首里城の夜景はRAW+JPEGで撮影していた。ISO100で撮影しているのにもかかわらず、JPEG画像は暗部のカラーノイズが酷い。一方、RAWデータから最新のOLYMPUS Workspaceで現像してみると、カラーノイズがきれいに消え、印象が大きく異なる。ただ、暗部のガサガサした描写は残ってしまう。
描写性能には満足していたが、2011年にE-620を購入する際に下取り交換に出してしまい、現在は手元にない。ゴツゴツした無骨なカメラだが、グリップはよく手になじみ、使いやすいカメラであった。