本州、四国、九州、3つの陸地に挟まれた我が国最大の内海、瀬戸内海。東西に細長いこの内海には外周100m以上のものだけで727の島があるという。有人の島は約160。私が住んでいた香川県では24の有人の島があり、うち17の島には定期航路がある。
香川県の県庁所在地、高松市にある高松港は6つの島へ向かう航路が集まる海のターミナル。この高松港から最も近い島が女木島、その北隣にあるのが男木島だ。現在は高松市に含まれる男木島と女木島だが、かつては雌雄島村を構成しており、この旧村名がフェリー会社の名前として残っている。
高松港から雌雄島海運のフェリーに乗ると、女木島経由で男木島へ渡ることができる。乗船時間は約40分。島の西側にある港が近づいてくると、山の斜面にへばり付くように広がる集落が見えてくる。多くの家が瓦屋根の木造家屋。かつて1000人を数えた人口も今では約150人。それでも2010年から始まった「瀬戸内国際芸術祭」の開催をきっかけに島を訪れる人が増え、素朴で暖かい島の雰囲気に魅力を感じて移住する若い世代が出てきている。
集落の細い路地を登ってゆくと最も高い位置に豊玉姫神社がある。日本神話にあるワタツミ(海神)の娘で竜宮に住むとされる豊玉姫を祀っている。海に生きる漁師の島に相応しい神社だ。本殿に向かう石段を登る途中、後ろを振り返ると集落全体を見下ろせる大展望が広がる。この神社では2年に1度大祭があり、香川県へ移住してきたばかりの2012年夏、私は獅子舞を舞うという貴重な経験をさせてもらった。以降も足繁く通い、親しくお付き合いしている島民も出来た。
石垣の上に築かれた家の壁には古くなった船板が使われているものも多く、非常に味わい深い。男木島出身の著名人というと小説家の西村望、西村寿行がいる。2人は兄弟だそうで、男木島の網元の生まれだとか。「船板一枚下は地獄」ということわざを思い出す。漁師という命がけの営みを間近に見て育った両名だからこそ、緊張感のある作品を執筆することができたのだと納得してしまった。
高松市内に住んでいた頃、時間ができるとカメラ片手に高松港からふらりとフェリーに乗り、男木島を散策した。島に着くと、まずは豊玉姫神社まで登り、後は気が向くまま入り組んだ路地を歩く。高く積まれた石垣、船板が貼られた古びた壁、鈍く光る瓦屋根、そして狭い路地。これらが男木の風景を魅力的なものにしている。
3年に1度開かれる「瀬戸内国際芸術祭」。男木島はそのメイン会場の1つとなっており、いくつもの作品が男木の集落のそこここに展示されている。民家を展示スペースとして利用している作品は、芸術祭の期間中、それ以外の時期は日時限定で公開されているのみだが、屋外展示の作品は常時、観ることができる。屋外展示では集落の高台の空き地に設置された谷口智子さんの「オルガン」という作品がお気に入りで、島へ渡る度にここを訪れていた。塩ビパイプの配管で構成された体験型のアート作品で、音を鳴らしたり、風がパイプを抜けるときの音が聞こえたり、楽しい作品だ。最上部には望遠鏡のような覗き窓が設けられ、その向こうには備讃瀬戸の風景が見える。甍の波の向こうに穏やかな瀬戸内海の風景が広がる情景はいくら眺めていても飽きないほど。なお、この「オルガン」は数年前に撤去されてしまった。ただ、眺めのよい空き地は残っており、瀬戸内の風景を眺めることはできる。
島の西側に男木集落から北へ向かう1本の道がある。ひたすら40分ほど歩くと島の北端に着く。そこには総庵治石造りの男木島灯台が建っている。この男木島北端と北側にある豊島の間は瀬戸内海を行き来する船の多くが通るメインルートとなっており、大小様々な船がひっきりなしに行き来している。その航路の安全を確保するために設けられた大切な灯台だ。現在は無人化されているが、かつては灯台守が暮らしていたと思われる宿舎も設けられている。背後の高台に登ると、灯台越しに瀬戸内航路が見える。ここからの眺めも素晴らしい。
雌雄島海運のフェリー“めおん”と“めおん2”。赤と白のツートンカラーを纏った小さな船は愛らしく、この船に会いたくて島へ渡っていたような気もする。“めおん”は1987年就航と年数も経っていたこと、瀬戸内国際芸術祭開催期間中は定員が250名と少ないため、港へ積み残しを起こすことが度々あったこと、バリアフリー対応が出来ていないなど、時代に合わなくなっていた点が引退の大きな理由であろう。新造された“新めおん”は、船体がひとまわり以上大きくなり、定員は280名。バリアフリー化もされ、高齢者の多い女木・男木島民にも概ね好評のようである。
もう乗ることのできない旧“めおん”だが、映画「釣バカ日誌」(1988年)の冒頭に、就航して間もない旧“めおん”がバッチリ映っているのを聞いたので、今度、観てみようと思う。